伊勢田哲治 2003年『疑似科学と科学の哲学』名古屋大学出版会、2,940円(税込)
「血液型性格診断」のような話が大好きなあなたが、「そんなのが説得力を持つのは、誰にでも当てはまることしか言っていないからさ」などと言うような理屈っぽい恋人に辟易としているなら、この本を読むといい。一泡吹かせられるかもしれないからだ。(ちなみに、あなたの恋人の説明は、心理学では「バーナム効果」と呼ばれている。)
とは言っても、本書は「血液型性格診断」の正しさを証明してくれない。そうではなく本書は「血液型性格診断」のような、いわゆる「疑似科学」(と言われても我慢して欲しい。著者の言では「疑似」という言葉に否定的な意味合いはない)と「科学」の間に存在する境界が、いったいどのような原則によって引かれるのかを、説明しようとするのである。つまり理屈っぽい恋人を打ち負かすには、何も「血液型性格診断」の正しさを証明しなくとも、否定してくる輩(「つまり疑似科学」と「科学」の線引きの議論法)を叩くという道もあることに気づかせてくれる。(それから、「血液型性格診断」は本書の主要な事例になっていないのであしからず。)
1章では「創造科学」(聖書に書かれている天地創造の物語を科学的にサポートしようとする立場)と「進化論」の線引きを巡ってポパーの「反証主義」が、2章では「占星術」と「天文学」とを巡ってクーンの「パラダイム」論が、3章では「超能力」の実在を巡る議論を通して、科学における実在論論争が、4章では「代替医療」の社会政策的な位置づけをめぐって科学的合理性への相対主義的立場が、5章では、「マーフィーの法則」(「パンがバターを塗った面を下にして落ちる確率は、カーペットの値段と正比例する」といった例のヤツ。)などを人はなぜ信じてしまうのかについて確率論を紹介しながら、検討される。
…のだが、はっきり言って冗長な記述が多い気もするし、使えるのかと思って読んできた科学の線引き基準が、すぐに「実はここで弱い」、とひっくりかえされてしまう連続で、読むのに忍耐が必要だった。ラストがベイズ理論で終わるのだが、ここはビヨンド・マイ・アンダースタンディング。それでも、戸田山が『科学哲学の冒険』の次に読むべき本と勧めているので我慢していると、学ぶところはあるもので。
たとえば、アメリカでは創造科学が州憲法レベルでは否定されているものの、地方の教育委員会レベルではいまだに生き残っているという話には興味を引かれたし、ダーウィンの進化論は、「獲得形質の遺伝」(キリンの首が長いのは、高い木の葉を食べるための先祖の努力が、子世代に受け継がれたから、といった説明)の目的論的な思考を、「自然選択説」(遺伝的な変異によって首が長くなったキリンは環境への適応性が高く、結果として生存競争に勝ち残ったのが首の長いキリンだった)という機械論的な発想を提示することで否定したものであったことを学べたのは、勉強になった(常識?)。
ただこの本で得られた議論の立て方を使って恋人を論破して、二人の中がこじれてしまったらどうしよう。そのときはやっぱり血液型占いにお願いしてみますか。